江戸期
- 1600年代中頃
- 初代が丹後国由良ノ庄に居を構える
- 1700年代
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二代目から当主の名として新屋(あたらしや)六右衞門
四代目六右衞門のとき回船業を営む *北前船の名簿に「新屋」の記載有
- 1832(天保3)年
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五代目六右衞門が田辺藩(現在の舞鶴市)より許可をもらい酒造業開始
天保蔵完成(現存)
- 1845(弘化2)年
- 開業十三年で百二十石を醸出
二代目から当主の名として新屋(あたらしや)六右衞門
四代目六右衞門のとき回船業を営む *北前船の名簿に「新屋」の記載有
五代目六右衞門が田辺藩(現在の舞鶴市)より許可をもらい酒造業開始
天保蔵完成(現存)
七代目 十六歳で家督を継ぎ、多角的経営へ移行。みりん・焼酎の製造も開始
明治に入り中西姓へ。屋号も新屋(あたらしや)から中西銘醸へ。
八代目 中西一雄が事業を承継。
舞鶴支店を開設し、海軍御用達商の指定を受け千石規模の酒蔵となる。
九代目 六右衞門襲名
自醸酒品評会で4度の首席を獲得 *銘柄「千代白鳳」
中西銘醸株式会社として法人化
名酒「千代白鳳」「由良泉」を“雪をいただく由良ヶ岳”に ちなんだ『白嶺』に改める
十代目 六右衞門襲名
『酒呑童子(しゅてんどうじ)』発売 *山廃仕込・本格辛口
十一代目 中西哲也が代表取締役社長に就任
『香田(こうでん)』発売 *丹後産山田錦100%使用
事業承継のため株式を友桝ホールディングス株式会社へ譲渡
十二代目 友田諭が事業を承継。十一代目は会長に就任。